青い海と歴史ロマンの町、敦賀を歩こう

美しい海とおいしい海の幸で有名な福井県の敦賀は、京の都からも大陸からも近いという地理的条件から、古代より日本の歴史の中で重要な役割を果たしてきました。

白砂青松の海岸をバックに敦賀の町を歩きながら歴史のロマンに思いをはせてみませんか。

敦賀の歴史を訪ねて……敦賀市内名所旧跡めぐり

日本3大木造大鳥居と「けいさんまつり」の気比神宮

気比神宮(けひじんぐう)は、大宝2年(702年)に建立されたと伝えられ、「古事記」や「日本書紀」にもその名が見られます。北陸道の総鎮守で、かつて北陸一の勢力を誇っていました。大鳥居は、奈良の春日大社、広島の厳島神社のものとならび、日本3大木造大鳥居に数えられています。

「けいさんまつり」こと気比神宮の秋祭りは、毎年9月4日の例大祭を中心に、2日の宵宮祭から15日の月次祭まで行われ、「気比の長祭」として有名です。

市内でも「敦賀まつり」として、市民総参加で大いに盛り上がります。みこしや、戦国絵巻をかたどった迫力のある山車の巡行、カーニバル大行進や民謡おどりなど、盛りだくさんのイベントが行われ、県外からも大勢の人が訪れます。

謎の陰陽師、安倍晴明ゆかりの晴明神社

陰陽道の大家、安倍晴明は、10世紀の末に敦賀に5年間滞在しました。京の都に近く、大陸貿易の拠点でもあった敦賀は、当時最先端の中国文明を学ぶには最適の地であったのでしょう。

晴明が占いに用いたといわれる「祈念石」がご神体となっています。祭壇の下に安置された「祈念石」の上に賽銭がのれば、願いがかなうといわれます。

毎月第3日曜日には、晴明神社のある相生町で、「晴明の朝市」が開かれます。農家直売の新鮮な野菜や果物、日用品などが手に入ります。

新田義貞、織田信長ゆかりの金ヶ崎城址と「恋の宮」金崎宮

金ヶ崎城址(かねがさきじょうあと)は、敦賀湾を見渡す小高い丘の上にあります。延元元年(1336年)、新田義貞が恒良親王と尊良親王を守り、足利尊氏軍と戦った場所です。麓にある神社の金崎宮(かねがさきぐう)には、戦に敗れた両親王がまつられています。

また、戦国時代の元亀元年(1570年)、織田信長は朝倉義景に戦いを挑み、金ヶ崎城を手に入れたものの、同盟関係にあった浅井長政の裏切りにあい、挟み撃ちの危機に陥りました。しかし、しんがりをつとめた木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)らの働きにより、信長は無事に撤退することができました。

この戦いのとき長政の裏切りを知らせるため、信長の妹のお市の方が、袋に小豆を入れ、両端を結んで信長に届けたといいます。その伝承を受けて、金崎宮には袋の両端を結んだ形をした絵馬やお守りがあります。

金崎宮は、桜の名所としても有名です。明治時代、桜の見物に来た男女が「花換えましょう」と、互いの桜の小枝を交換し思いを確かめ合ったそうです。そこからいつしか金崎宮は、良縁を結ぶ「恋の宮」とよばれるようになりました。

4月1日から15日の「花換まつり」では、桜の小枝のお守りを、福娘と「花換えましょう」と交換します。福娘と交換したあとは、家族や友人、恋人などと交換してよく、換えれば換えるほど、幸運になるといわれています。

明治の日本とヨーロッパを結んだ旧敦賀港駅舎

自然の良港として古くから栄えた敦賀は、日本海側ではじめて鉄道が敷かれた場所でもありました。

明治45年(1912年)には、新橋・金ヶ崎駅(後の敦賀港駅)間で、ロシアのウラジオストク行きの船に連絡する「欧亜国際連絡列車」が開通しました。ウラジオストクからはシベリア鉄道で、ヨーロッパに行くことができました。

旧敦賀港駅舎は、当時の駅を再現したものです。現在は「敦賀鉄道資料館」になっています。

自然と歴史を楽しむ旅に出かけよう

いかがでしたか。敦賀にはこの他にもまだたくさんの史跡があります。美しい自然を楽しみながら、自分なりの歴史探索をする旅にでかけませんか?

~耳より情報~

8/16(土)の18時より日本海最大級と称される1万発の花火大会も開催予定。

http://www.turuga.org/places/toronagashi/toronagashi.html

9/2日(火)~敦賀祭りも開催されます。

http://www.turuga.org/places/tsurugamatsuri/tsurugamatsuri.html


参考:

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