「活きはよいよい、帰りは旨い!」旅する魚“カツオ”の生態とは

動きを止めない魚、カツオの向かう先は

2014年はじめは不漁が続いたカツオ……

日本人になじみ深い魚として、カツオをあげる人も多いのではないでしょうか。そのカツオ、2014年初旬は不漁でした。原因はよく分かっていないようですが、「熱帯域での取り過ぎ」や「冷たい海水温がカツオの北上をブロックしている」など、さまざまな要因があるようです。それでも、5月に入って一転、順調な水揚げが続いているようです。

カツオが好んで泳ぐ水温は、赤道を挟んで北緯・南緯40度くらいまでの地域で、日本近海では黒潮にのって三陸あたりまで北上してきますから、2014年の冬、寒かった日本への到来は少し遅れたのかもしれません。

回遊型の魚、カツオの生まれ故郷は?

カツオの産卵水域は太平洋の中央付近で、幼魚の成長はきわめて早く、1カ月に4cm以上成長します。生後1歳で、体長が30~40cm、2歳で60cm前後、そして、3歳で70cm前後にまで成長します。カツオの幼魚は主に低緯度水域に分布していますが、2歳魚になるとその分布を広げ、ハワイ付近で成魚になったのち、回遊を続けながら次第に東方へ移動します。

回遊を続けるカツオは2~3月になると石垣島の南に現れ、4~5月にかけて沖縄、奄美諸島、トカラ列島を北上して鹿児島に近づきます。また、これとは別に、伊豆諸島から北上してくる一群もいます。今年の5月からの豊漁はこちらの団体様のおかげなのですね。目に青葉がまぶしいころ、その勇壮な姿を確認でき「初ガツオ」が食卓に上ってくるという訳です。

動きを止めないカツオ、その後はどこに?

6月に房総半島沖に現れたカツオは、7月、8月にかけて宮城県金華山沖、三陸沖を北上します。そして、カツオの団体旅行は8月下旬ごろ目的地の北海道沖に到着します。この群れの中心は、北から南下してくる親潮と黒潮とが出会うところ、つまり潮目を終着点とします。

それは、潮目がさまざまな海の生物が集まるマーケットになるためです。ここに集まるイワシなどの小魚を食べたカツオは、丸々と太って9月中旬ごろ親潮の流れにのり「戻りガツオ」になって再び私たちの食卓に上がるのですね。

歴史が証明! カツオと日本人の知られざる秘密

縄文時代にはすでに食べられていた

日本人とカツオの付き合いは古く、縄文時代にはすでに食卓に上っていたようです。青森県の八戸遺跡で骨が見つかっているので、さぞ脂ののったカツオを食べていたことでしょう。718年の「養老律令」には、「堅魚(かたうお)」という言葉があり、カツオが貢物として納められていたことが分かります。当時は生で食する習慣はなく、茹でたあとに干した物を献上していたようで、これが現在の鰹節の原型とされています。

時代が進み戦国の世になると、縁起を担いだ武将が鰹節を「勝男武士」と当て字にして重宝しました。土佐の長宋我部元親は、四国平定の道すがらカツオの大漁に行き当たり、茅で焼いて食べたと言い伝えられています。これが「カツオのたたき」のルーツなのですね。

川柳に詠まれた江戸っ子のこだわり

そして、江戸時代になるとカツオはさらにポピュラーな魚となり、庶民の間では、刺身にして食べるのが粋とされました。「女房を質に入れても初鰹」という川柳を聞いたことがあるでしょう。江戸っ子はカツオに対する粋なこだわりがあったのですね。

「活きの良さ」が「粋の良さ」に

こう見ると初ガツオも戻りガツオも、日本人に合った食べ方なのかもしれません。カツオの活きの良さが日本人の粋につながり、歴史が育んだ味覚が現代まで脈々と伝えられています。今も昔も日本人が「カツオ好き」ということが証明されました。


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